新庄あれこれ

わが町、新庄にまつわる話題、伝説などを紹介してみました。ご一読くださいませ。

ヤマトタケル
 当舗の「あんくじら餅」の包み紙に使用している写真は、市内の本合海(もとあいかい)にある八向楯(やむきだて)と呼ばれる名勝です。最上川沿いの絶壁に矢向(やむき)大明神があり、その周辺の絶景は八向楯と呼ばれる景勝地となっております。

最近話題になったのは、大明神の上の岩肌に人の顔らしきものが浮かび上がったことです。大明神に祀られているのは、ヤマトタケルと伝えられています。岩肌の顔は、どことなく古代の人のような面立ちにも見えるのですが・・・。2009年は神社の神階授位1135年祭が行われ、女人禁制が初めて解除になる行事もありました。はてさて、岩肌に現れたのはヤマトタケルなのでしょうか?

義経と弁慶
 名勝八向楯の対岸に、義経・弁慶下船の地の記念碑があります。兄・源頼朝の追手を逃れて平泉に向かう途中の義経主従が、酒田より最上川を遡って、新庄・本合海で船を下り、ここからは陸路で、亀割峠を越え、瀬見を経て、平泉へと逃れていったと伝えられております。

  さて、"新庄の奥座敷"と言われる瀬見温泉ですが、義経・弁慶にまつわる数々の伝説があるのをご存知でしょうか。そもそも瀬見温泉の由来は、義経の子、亀若丸の誕生と共にあります。義経一行に同行した北の方が、亀割峠を越えたところでお産をし、生まれた赤ん坊に産湯を使わせようと、弁慶が谷川を下ってみると、川辺に湯煙が立っていたのです。「せみ王丸」という銘のなぎなたで岩を一突き、なんとそこから温泉が湧き出てきた、という逸話が残っており、そのなぎなたの銘より「せみ温泉」の名がついたと言われております。

ところで、亀若丸は産声をあげない赤子でした。自分が大きな産声をあげれば、追手に父の居場所を教えてしまう。赤子ながら、父が追われる身であることを悟っていたのだ、と言う説があります。そんな赤子が、初めて産声をあげたのが、「子が鳴く」という字をあてた、現在の鳴子と伝えられております。

余談になりますが、八向楯の対岸、義経・弁慶の碑と並んで、当舗店主の句碑がございます。店主は長年にわたり俳句を趣味としておりますが、数年前に詠んだ句、「でで虫や万の渦のむ最上川」で、NHK山形主催の最上川俳句コンクールの賞をいただきました。地元八向の方々の多大なる尽力もあり、句碑の建立という生涯の誉れを頂くことができました。もちろんメインの句碑は、俳句界の新星、黛まどか氏の碑「草の香に一舟もやふ最上川」です。最上川沿いをドライブする機会があれば是非、お立ち寄り下さい。近くには子授けにご利益のある八幡神社もあります。